笑顔クリエイター jin

myumyu

いつもありがとうございます!

こんにちは jin です

私は、今こうしてブログを書くようなりましたが
これまでの人生の中で、何度か日記のようなものも書いてきたことはあります
今となっては、それを見てみると当時思っていたことや
感じていたことが書かれている
自分的には、懐かしいような照れくさいような、記録になっています。

自分の記録って、持ってますか?

人として生きてきて、多くの人は出来事や感情すべてを
覚えていないと思います。
忘れることで、生きています。

でもここで自分の半生、じぶん記録を振り返ってみると
すべてが今の自分に繋がっていることや、
これから先に繋がっていくことを感じることができます。

じぶん自伝

一緒に書いてみませんか?

jinの自己紹介

●人生の振り返り

大分県の田舎町。夜になるとカエルの声が聞こえるような山の中。

昭和最後の年に、末っ子(3番目)で生まれました。
姉とは11歳、兄とは10歳離れており、可愛がってくれたようです。
(その後聞いた話、兄の後に、母は流産の経験があるとのこと。。
 もし、そこでその子が生まれていたら、私はいなかったかもしれないです)

両親と、祖父母と一緒に住んでおり、
祖父について川に行ったり、祖母と畑に行ったり
近所のゲートボール場まで一緒について行っては
おじいさんおばあさんにお菓子をもらって
構ってもらっていました。

家ではネコも飼っていて、
小さいころの写真ではネコを抱えている写真も多いです。
家の前には生けすがあって、金魚や鯉がいました。
良くある町の夏祭りなどでの金魚すくいでもらった金魚を入れていたのですが
金魚って、自分の泳いでいる環境に合わせて成長するサイズを
変えるんでしょうか、鯉のような金魚になってました。
尾びれがひらひらしているので、金魚なんですよね・・・

ひよこが買いたいと、無料配布していたひよこをもらったのですが・・
なんせ、うちにいるのは、ネコ。
その瞬間は、見ていないのですが・・・・・
事件現場の光景は今でも結構覚えています。。

これが理想・・・・

最寄りのバス停や、自動販売機までも1kmありました。
その自動販売機も、小学校くらいに置かれたもので
バスも朝・昼・夕に一本、みたいな感じでした。
車の有難さを感じます。というか車がないと大変です。

裕福ではありませんでしたが、
田舎っこそのままに、自然の中で暮らしてました。

小学校の同級生は14人、
中学校の同級生も30人程度でしたが、親子ともに仲良く、
もちろん、同級生だけじゃなく、
近所の子どもたちは年齢問わず一緒に遊んでいました。

小学校時代は、小学校が体育強化校に指定されており、マット・鉄棒・跳び箱の器械体操をするのが流れで、マットは倒立とか側方倒立回転、鉄棒は連続前回りや膝かけ回り、跳び箱はヘッドスプリングとかしてました。
超絶上手いわけではなかったですが、割と運動できるタイプであったとは思います。

走る、のは好みで言えば可もなく不可もなく、だったのですが
小学5.6年生が出場する地域の駅伝大会で
当時4年生の私でしたが、3人必要な5年生女子が2人しかいなかったので、
4年生の私はその枠で走らせてもらいました。
また、地元にある、クロスカントリーコースを走る大会でも
4年生女子の部で1位になったりしてました。

地元の公立の中学に進学
携帯が手元に持てるようになったのも中学時代でした。
中学校時代は、部活も始まり、皆精神的にも少し発達・成長する時期で
女子は特に、グループができたり、機嫌一つで態度か変わるというのが
友だちにも、自分自身にもあって、学校という社会での経験も、
本当色々ありました。

中学での繋がりは今でもあって、地元で友だちと集合!というのも
続いています。

中学時代は、バレーボール部に所属して、スパイカーしてました。
また、陸上中体連は人数が少ないこともあり、本来の部活で県大に出場できなかった場合は駆り出されていて、100m走や、リレー、ハードル走や走り幅跳びなど、経験させてもらいました。
リレーと100mでは、県大に出場できたりしたんですよっ

また中学3年生のとき、理学療法士という職業を知ります。
なりたい職が定まっておらず、高校進学の方向性も悩んでいた私にとっては
理学療法士という職業は衝撃的で、
これになりたい!と思って、進学校への進学を決意しました

この流れは、中学での論文大会で、学校代表になって当時、郡の大会に出場もしました

高校は決意の通り、普通科進学校へ。

ここでまた面白いクラスメートや友達ができて
卒業した今でもよく集まります。
みんなの近況を聞けたり、他のみんなはどうしているのかという
情報交換トークに花が咲きます☆

高校でも部活はバレーボールを続けました。
学校の周囲が山であったこともあり、
学校周回コースのランニングはめっちゃきつかったし
近くの神社の階段を何度も往復するのも
ほんと、みんながいたからできたよなーって思います;

ただ、部活しながら、
右肘の靭帯を損傷してギプス生活したり
卒業間近のタイミングで右膝の靭帯を断裂したり
部活に出れず、チームメイトのモチベーションを下げてしまったことが
今でもすっきりしていません。

私は身体の関節が比較的柔らかいタイプで
そのため充分な筋肉がないと、すぐに靭帯に負担がかかってしまうことを
一度医師に言われたことがあります
でも、バレーを続けたくて、継続してきたのですが
最後に右膝靭帯損傷したことで、それ以降、思いっきり運動することが
できなくなってしましました
医師に言われたときも、右膝損傷して手術した後も
自分のことを考えて、筋力をつけたり、しっかり運動学習をするという
努力をすべきだったのですが
そこは、今、後悔の一つでもあります。
筋力はこれからも付けられますが、この運動できなかった期間を
取り戻すことはできないのです。

と、そんなことも、思いますが
バレーを途中でやめなかったことも、自分にとっては良かったと思ってます

最後までチームメイトと過ごせて、幸せでしたから!

中学で決意したように、私は理学療法士になるために進学することを
ずっと決めていました。
理系女子で、勉強もしていました。

理学療法士の資格を取るために進学する。
金銭的に公立大学医学部保健学科を目指しまていました
が、いうても医学部、定員も20名。模試判定、Cレベル・・・
私立大学は自分の中で親に金銭的負担がより大きくかかると思っていて、
専門職を諦めようと思った瞬間もあります。

他の職業を考えたり、入れる学部に入って、、とか
色々考えました。
でも、、
どうしても諦めたくなくて
お金をかけてしまうけど、どうしても理学療法士の学校に行きたい
その気持ちを、母に伝えたところ

困る顔ひとつせず、「やりたいなら」って
専門学校に行かせてくれた親。
多大なる感謝が、今でも強く強く強くあります。
定期試験もクリアして、国家試験も一発合格する!と
決めました。
就職して親に感謝を返すんだ、と。

自分の、自分価値観が変化していく


資金面でそれ以上負担かけたくないと、
奨学金と病院奨学金制度を利用して、
大分市内で一人暮らしをしながら専門学校へ通いました。

通学しながら
高校で損傷した右膝靭帯の再建手術もしました。
術後、自分がリハビリを受けるという実体験もして
理学療法士の仕事を実際に自分が受ける、を経験しました。

性格的な部分であえば、私は高校生くらいでは
中学のそのいわゆる女子の嫌な一面、から
自分に自信なんてまったくなくて、
「自分のこと、嫌い」って思ってました。
部活でもケガばっかりだし・・・
自分にはいいとこないなーって感じてました

かなりネガティブな時期もあり

自分のいいところを見るよりも
自分にできないこととか、やれないことに注目してしまって

こんな自分だから、、、、って思考でした。

専門学校時代になってから徐々にその思考が変わったのは
友だちが、自分のことを見てくれていて
必要としてくれる瞬間が何度もあって

(なぜ気づいたのかといえば・・・
 日頃はさっぱりとした付き合いで
 仲良くなっていても弱音吐かないし
 親友っていえるくらい一緒にいる時間長かったけど
 いるのが自然で、あまり言葉で伝えない彼女が
 実習で大変すぎた時に
 泣きながら電話してきて会いに行った経緯
 jinになら話せる、って
 甘えて?信頼してくれた出来事が大きかったです)


(伝えてくれることがほぼなかったので
 日頃、言葉にない分、当時の私はすごく嬉しかったんです)

はじめはすぐには変われないので
こんな私でも必要としてくれるんだ・・・

って感じだったのですが

その瞬間が積み重なっていって
少しずつ、自分のこういうところは
誰かが必要としてくれるんだ、とか
できないことはたくさんあるけど
できることやってたら、ちゃんとそこに「私」はいる

そんな風に考えられるようになってきて

変わりたい部分はあるけれど
それでも、今の自分はこうなんだから、それでいいかも

自分のこと嫌い、って言ってる人を
他人が好んでくれるはずがないし

自分の弱い部分も含めて自分が認めて
それも含めて自分だからって思えたら
すごく気が楽になりました

その友達の、おかげです
ママ友としてもずっと仲良くしてもらってます


地元の病院奨学金制度を利用していたので、
卒業・資格取得後は、
御恩奉公としてその病院へ就職しました。実家に戻ります。

ドライブや音楽鑑賞、漫画が好きで、学生時代大分市内から地元へ星を見るためだけにドライブしたり、同じく音楽好きな友人と6~7時間のフリータイムでカラオケに行ったりと専門学生を満喫します。

就職後も、同僚とラーメン店巡りに行ったりして美味しいもの食べに回ってました。

一方で、医療保険・介護保険、診療報酬改定に伴って新たに新設される制度に関わったり、電子カルテ入れ替えの際にはシステムの方と話す機会を持って実装作業のヘルプをする等、仕事を任されることもありました。

ワードとかエクセルとかの操作、機械ものに比較的強かったのは、自分でもよかったと思います。

結婚後の変化と転機

就職5年目で、結婚します。

当時は旦那と大分〜東京の遠距離だったので、そのまま勤めている予定でしたが、旦那が大分に戻ってきて働く、というので、それに合わせ同居するために、地元から大分市内の職場に転職します。

転職して2年目の2016年に長女を出産。1歳から保育園に通うにあたり、時短勤務に変わりますが、正社員でしたし、育児にも追われ、あまり色々と深刻?に考えずに、当然のように復職して働いていました。

そのころ、旦那の何か怪しい気配というか、性格というか、不信な点が見えてきた時期がありました。夫婦関係もとても良好、ではありませんでしたが、子どもを中心とした生活でもあり、家族として過ごしていました。

育休から復職し、保育園に通う子ども。体調不良で呼び出しがあることもあります。そうした事情や状況を、上司との認識のズレ?か、理解してもらえないことが大きなストレスとなっていました。

そんな中、妊娠が発覚するのですが、残念ながら初期のうちに流産。 そのタイミングで、このままこの職場で再度妊娠出産、その後働き続けることへの不安がぬぐえず、退職・転職することを決意しました。

時短で働くとなれば、就職口として正社員は難しく、パート勤務で、幸いにもリハビリ職で働ける職場があり、就職しました。新しい職場はとても仕事しやすく、ストレスも激減。転職後1年後に、第二子を妊娠することができました。

ところが、第二子妊娠で考えたのは、今自分はパート勤務であり、以前より収入が少ないこと、つまり育児休暇給付金の金額も一人目よりも少なくなること。また、2人の育児をしていくということは出費も増えるということ。

そこで、私は、これまでで一番、「お金」について考えないといけないと思いました。

これまで進学も就職も、流れるようにきましたし

ありがたいことに結婚・出産もして、

このまま働いて、育児して

家族と生きていくんだと、疑わずでした。

ただ、妊娠中、旦那の有責が発覚します。

気持ち的に色々な葛藤はありましたし、正直気持ちは離れてしまいました。しかし、離れるという選択をするのは容易ではありません。

子どももいるし、経済的にも。
私1人なら、苦しくても、と思えても、
子どものことを考えると、離れずに、家族として継続していくしかないと思ったのです。

でも、そんな状態でこれから一生生きていくのが本当に幸せなのか?

いや、違うだろうな、とも分かって

離れることを考えても

経済的自立、は必須事項。

それまで我慢だ、という考えになりました。

「お金」について考えないと ということと

「経済的に自立」という目標が奇しくも一致してしまったんです

でも、実際今のパートだけをしていくだけでは、到底叶えられないと思い、所謂 副業、とか副収入、というキーワードで、探し始めました。

 「月2~3万円でもお小遣いを」

「あわよくば大きな資金がつくれたら、いつか・・・」

そんな気持ちで、とりあえず検索し始めました。
ポイント活動、とか、ブログアフィリエイト、とか。
無料から、とか、少額から、とか。

時にはノウハウ購入もしたりして、今振り返れば、ありふれた情報に振り回されて、よくも悪くも、色んなことを学びました。

行動していたら、出会えた

●Sさんとの出会い

そんな中でSNSでSさんからのメッセージに反応し、とあるビジネスに参入します。

いわゆる、今後将来的な権利のもとになるベースのために出資するものでした。

そこで、転売や、自分からの紹介者による毎月の収入、というようなビジネスモデルではなく、

将来得られる報酬のために投資をする、というビジネスモデルもあると学びます

●Fさんとの出会い

副業についてのアンテナを張っていた私は、色々と情報は集めていました。その中で出会ったFさんとのメッセージのやり取りの中で、Fさんは、運用に回していく資金捻出のための案件を教えてくれました

●自分で探した資金調達

いくつか資金調達、はありますが、運用する気満々で色々手続きを進めていたものがありました。その資金調達が完了するタイミングと、大きな情報の渦を得られる環境に出会えたタイミングが一致しました。

●出会いの縁が繋がり、つるみが変わる

案件のリーダーやコミュニティが繋がり、
特別で新鮮な情報から、取り組むべき案件を選択できる
そんな環境に入ることができました。

それは、上昇学です。

上昇学という概念で、意識の高い方々が集まり、
『お金のためには働かない』という言葉を聞き、
またその領域に辿り着いている方々を知り

大きな衝撃を受けました。

これまで、自分の人生で、

そんな風に考えたことなかったし

収入がないと生活できないから、
そのために働くことが当然だと思っていたからです。

周りに、働いてなくて、余裕ある生活を送っている家庭というのも知らなかったです。

(主婦の方はいますが、旦那さんの稼ぎがいいのだろうな、という感じでした)

 そして、そこで出会えた上昇学本部の自由創造人 SHOWGOさんに話を聞いて頂き、自分の事情をお伝えしたところ

「自分で下を見過ぎ。何を迷っているのか」というお言葉。
旦那のことも、早く見限って、
自分の自由な人生にたどり着けばいいのだと気付かせてくれました。

 その一言があって、
「あ、そうか。いま色々なタイミングが
神的に揃っているんだから、やればいいのか」と、
すっと決意できたんです。

これまで意識していなかったお金についてのこと

自分でどうにかしていくことを考えないといけない

流されていることが一番リスクが高い

何かを変えていくには、行動するしかない

行動しないことには、変化は絶対ない

目標は決まっている。

で、現状できそう、なこと、も目の前に準備されている

でもな、でもな、と無駄に言い訳を考えて

あーだこーだ思っているのは自分だけ。

自分が「やるか」と決めたら、あとは簡単でした。

なんだったのか、あのもやもやは。

そして、目標も「あとこうだったら、できるかも」・・・と思うだけで止まっていたのが

「こうしたら、目標に達することができるのでは?」と前向きになりました。

さらにパートで働いているけど、副業等で年間20万以上取得したら確定申告が必要。

なので「よし、開業届出そう」と決めたのも、決意の一つです。

普通に「お小遣い増えたらいいなあ~」ではなく、ちゃんとビジネスとして、ちゃんと取り組もうと思ったのです。

意識・行動

こうしたことを妊娠中~産後~育休という間、考えたり、もやったり、決意したり、行動したり、と怒涛のように過ぎた日々の中でした。

2人目の育休から復帰したら、朝起きて、子どもの支度して食事して、保育園送ったらそのまま仕事へ。

仕事して、保育園お迎え行って家で子どものことをして、片付けをして・・・

限られた時間の中で、ママはバタバタだ~と思います。
休日ともなれば、遊んだり買い出ししたり
掃除念入りめにしたり、、
休みのはずなのに、家事や育児ありますよね。

でも

私の情報源となる場所はオンラインなので、

少しの時間にログインだけでも繰り返します。

通知やメッセージの確認だけでも、オンラインになるのです

たとえその一瞬を逃しても、なるべく早く取得する。

取得して、シェアして、また日常に戻り、少しの時間があればまたオンライン。

インターネットを活用できる今の時代だからこそ、情報の新鮮さは早いし、逆に濁って出回るものも多いです。

そうした中でも、くらいついて得た情報で、今は毎月パート以外での収益が、パートを超えるくらいまでには得ることができるようになりました。

(時給なので、元々そこまで多くはないですけど、自分の仕事と同額の収入があるって、なんか色々と、安心じゃないですか??)

目標にはまだ遠いですが、今の自分の状況や位置を自覚し、リフレッシュもしながら、行動を継続していきます。

そうして自分自身に少し考え方の変化や、余裕ができたとき
私は理学療法士が好きだし、その業務の大好きだけど
もっと、時間の使い方を工夫できるんじゃないかなと思いました

もっと、時間を自由に使いながら生きていけたらいいなと。

やりたいことを、やりたい人と一緒に楽しんで
その間に理学療法士という私も動かして
でも時間に縛られず、笑顔で生きていけたら幸せだ、と。

環境を変えて、色々なところで動いていくと
出会いも増えるし、出会う人の大きさも変わります

いくつも素晴らしい出会いも紹介しましたが
個人的に、この人と一緒にやっていきたいと思える
感性?直感?を感じたパートナーにも出会えました

自分にない部分を持っていて
とても刺激を受けるし、尊敬しています。

自分自身をもっと高められる出会いに
本当に感謝しています。

お金を意識できたこと

情報を探したこと

コミュニティに入ってみたこと

話を聞いてみたこと

大切なつながりを得られたこと

人生の楽しみ方を考えられたこと。

一つずつは小さなことかもしれません

でも、似たようなことを考えていても

その小さな行動さえもしない人はたくさんいます。

その小さな一歩を踏み出していたから

大きく生活が変わった今があります。

今踏み出した一つの行動が、

今後大きな変化に繋がる

その繰り返しになります

なら、いつ始めるのか

早いほうが良いというのは、お伝え出来ます。

始めるためのもの(資金など)がない。

始めなくてよいと思います。ただ、こうした情報が動いているということを知る場所にいるだけで、タイミングが合えばすぐに反応できる。

案件が全てではありません。

むしろ、その案件を知る、やるまでに、自分がどの程度の目標や、やる気があるのかを、見つめておく心構えが大切なのではないかと思います。

今すぐできること

ただ、一人で、ネットなどから情報を得ようと思っても、なかなか難しいのではと思います。

もちろん自分から求めていく姿勢は素晴らしく、ずっと必要です。

でも、それなら、すでに成功している人が伝えてくれる情報が、どれだけ特別なレベルで知ることができるのか、というのも、わかるのではないかと思います。

そうした環境があるのです

その中には、年収、というが月収が数千万という方もいますが

私が悩んだときに、個別に声をかけてくれた方もいます。

そんな環境にいますか?いま。

お金があるから、声をかけてくれたり、情報を流しているのではありません

稼げるから、こうしてブログを書いているのではありません。

もちろん「稼ぐ」ことは手段にはなりますが

稼いだ先にあるのは、あなたの人生です

人生を幸せにするために、稼ぐという方法があるだけで

そのお手伝いをしたいと、純粋に情報を発信してくれています。

私も、ご縁が幸せにつながっている自覚があります。

それを伝えたい。

転職したころは考えもしなかった位置にいると自負します。

あなたにも気付いてもらいたい。

私も、このブログも、倖せになるためのガイドに過ぎません。

倖せになれるのは、あなたが行動するからです。

長い記事、読んで頂き本当にありがとうございました。

これからしあわせに向けてともに歩めたら嬉しいです。

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